「傷寒論」の観察



「傷寒論」の観察           伊沢 凡人

 1.漢法と漢方と漢ポー

 2.西洋医学(新薬)における用薬の発想

 3.「傷寒論」解体試論


1.漢法と漢方と漢ポー


ただ今、生薬の柴胡を先生はどう思うかというご質問がでましたが、柴胡は漢方の世界でも重要視されている生薬の一つであり、近頃は西洋医学畑の方でも関心を寄せております。少々勘ぐりますと、この質問は、いわばそんな形で鼎の軽重を問われているのは、私のほうかもしれない。そこで、きょうは、その辺をとっかかりに、柴胡を軸に、傷寒論を観察するという具合に進めてゆきたいと思います。今日お集まりの先生方は、お医者さん、薬剤師さん、針灸師さんばかりで、漢方のほうもマスターしていらっしゃると耳に致しました。迀闊にお喋りなどしていると、お前は釈迦に説法をする為にやってきたのかと、お叱りを受けそうな箇所がしばしばあろうかと疑懼も致しており、予め、そのへんはお赦しを乞うておきます。のっけからこんな事を申してはなんですが、漢法という一つの治療法、治し方の体系を、振り返ってみた時に、その歴史をすっかり狂わせ、今のような漢ポー、または漢方に変えてしまった張本人が、じつは只今ご質問の柴胡ではなかったかと、僕はそう見ているんです。(笑)どうも柴胡はそういう歴史の転換点に立っていたようです。

まず西洋医学が或る考えのもとに(用薬の発想)今、実施している薬物療法をここでは新薬療法と規定しておきたいと思いますが、それに対し『傷寒論』医学のほうは漢薬療法と規定してお互いに理解し合ってはいかがでしょう?
もし西洋医学が実施している今の薬物療法に対して主張できる別の医学体系、これを私は異なる用薬の発想と申しておきたいのですが、そういうものがないならば、改めて、カンポー、カンポーなどとこんなに騒ぐ必要はないし、騒ぐのはおかしいと考えているわけです。ですから、もしそういうものが『傷寒論』の中にあるならば、それは今とは異なる用薬の発想に基づいた生薬療法ということになるんです。なぜ漢法と呼ばないのか不思議でなりません。漢法と漢方の間には単に言葉の文模様の違いなどでなく、“質的な”差異があるというふうに私は見ているわけです。では漢方とは何か。蛻の殻とでもいいますか、これからそんなことも含め、『傷寒論』医学に少しづつ触れてゆきたいと思います。

この古典は、“Treatise on fevers”と英訳されていますが、フィ-ヴァ-は熱病のことですから、ほぼこれが感染性熱性疾患に対する内科的処置法を書いた本だということは多分衆目の一致するところだと思います。尤も、なかにはリウマチ熱の発熱疾患もあるわけですが、糸をたぐれば、これも直接ではないが、溶連菌が絡んでいる病気です。では『傷寒論』が編まれた頃はどんな時代であったかを一瞥しますと、いうまでもなく、人体の解剖学も生理学も、またビールスの知識や細菌学、病理学なども全く発達してはいなかった…、
ですからカゼや流感のような熱病も、また食中毒、長江赤痢、恙虫病、腸チフス、マラリア、肺結核症、或いはリウマチ熱なども、そういう多種多様の熱病がどういうメカニズムで発生してきたものか、皆目見当もつかなかった…。
そこで、誘因のいかんに拘わらず(原因ではない)、熱病、つまり熱の出る病気とその対策というような形でしかまとめることができなかった…。まずそんなふうに見てはいかがでしょうか。
傷寒論はそんな時代にまとめられたその意味でのごく初歩的な本だと思います。一部で過信されているような、そんなに完備された本などではない…。

さて傷寒論は今も申したように病気の誘因がよく解らないので、熱病という一つの集約した概念で、いくつもの病気を一括して捕らえています。そこで近代医学とは様相・認識の仕方を、まるで異にしています。しかしこれを以て何も解らない時代にできた本だからそんな捕らえかたをしたんだろうとか、だからそれ程とるに足る本ではなかろうと片づけるなら安易軽卒に過ぎると思います。が、一方、近代医学にはないほぼ完備した医学体系を整然と示したすばらしい古典だというふうに過信するなら、これもまたあまり感心した態度ではない…。早い話が、今かりに『傷寒論』の心髄(真髄)を完全にマスターした大家がおったとします。ところがそれ程の大家であっても、既に発生し発育した癌病巣(固形癌)を抱えた病人に内科的処方だけで立ち向かうことは不可能であり、空洞を抱えた肺結核症患者を“治す”ことも不可能であり、また毎日毎日何単位かのインスリンで突っかえ棒をし支えてやらねば死んでしまうような、そこまで悪化してしまった糖尿病患者、つまりインスリンという次善の手段にたよるしか(インスリンはもともともと“治す”薬ではない)助けようのない重い糖尿病者に立ち向かうことも無理だからです。なおこの点についてはあとで整理したいとは思っていますが、癌、結核性の空洞、重症糖尿病・心不全・腎不全・変形した関節・奇形などの不可逆的病変群には西洋医学の力で次善の策を実施するのが最良です。もう“治らない”病変群に対してはそれしか手(手段)はないわけです。
なお序につけ加えて申せば、次善の策を実施しなければならない医療の段階(領域)では、徒らに薬害をおそれてなど居る余裕はありません。薬害の問題は主として可逆的病変群に属し、しかも慢性に経過する疾病群(慢性疾患)や頻発する疾病群に新薬療法を実施(長期間投与)する場合が対象となるわけです。それに可逆的病変群の大部分は、もともと漢法で“治せる”か“治し得る”対象領域です。ですから、要は、そういう形で、つまり誘因のいかんに拘わらず、いくつかの病気を一括した形で、捕らえていった場合、どういう性格と種類の病気を、どういう方法で、どのくらいまで治せるか、また予防できるか、そのへんを学びとることが、『傷寒論』の教えを現代に生かし、また将来へ向けて発展させる大きなポイントの一つだろうと考えております。
例えば傷寒論は、そういう一括した捕らえかたをいわば発熱疾患に限定して取り扱った本だと思えばいいわけです。
そういうふうに理解して、或いはそういう理解の仕方で読めば、この古典が提起している発想は発熱疾患以外の分野にも活用できると思います。
例えば近頃は、西洋医学のほうでもいくつかの病気を膠原病とか自己免疫疾患というような形(整理の仕方)で一括して捕らえ、理解してゆこうとする傾向見られますが、臨床的にも、これを膠原病という一つの単位、自己免疫疾患という一つの単位と見なして、漢法は対応してゆけますし、また汗・下法を主体に対応ができますことは興味深いし、これは現代及び将来に向けての『傷寒論』活用の一例証にもなるといえましょう。

先程、わたしは『傷寒論』はその意味での初歩的な本だともうしましたが、それは、この古典の中に、そういう学ぶべき“芽(萌芽)”がいくつかあると私なりにですが洞察したからです。一部で過信されているような完備された本ではないと申した理由もまた同じです。
従って、私は、こういう学ぶべき点を抽出することなしに、それを抜きにして、生薬の成分も薬理作用も解らなかった時代に構築された数々の処方を公式的といいますか、ただ形式的に鵜呑みに踏襲し臨床的に使ってみても漢法の立場からするとあまり意味がない、そういうことでは骨の抜けた漢方(処方)しか残らないと思うわけです。
ましてや、そういう処方をそのまま錠剤とかエキス化し、いわば形だけを真似ていわゆる『薬価基準』書に載せ、法律的な“医師は処方投与しまたは指示し、薬剤師は調剤(実際はメーカーの既製品ですが)投与する”という西洋医学の形式に則って、つまり胆を抜かれた葛根湯や桂枝湯その他を投与している現状を、恰も健康保険で漢法も利用ができるようになりましたなどと錯覚している姿をみると、これはクコやアロエや紅茶茸と漢法を一緒にくたにしているようなものですから、ここまで下落すれば、現代の知的水準からみまして、漢ポーとでも呼んで、区別しておかないと後世のためにもよくないだろうと思います。


2.西洋医学における用薬の発想


さて傷寒論では病気を以上のようなかたちでとらえていますが、よーくみると西洋医学のなかにも実は似たような発想で病気を捕らえている場合がある。ヤケドの誘因は,やはり熱病の場合同様に様々で、例えば放射線、炭火、火事、タバコの火(火傷)、熱湯(湯傷)、煮えたぎった油、太陽熱に基ずくものなどですが、そのすべてを熱によるダメージ、つまり、熱傷という病名に集約し捕らえているからです。そして、それを侵襲の度合に応じ、一度、二度、三度、四度の四段階にわけ、処置対策(Treatise)が試みられています。

ところが、つぶさに点検しますと、ヤケド傷寒論の場合の集約化の間にはかなりの質的な違いがあります。ヤケドの場合はいろいろな誘因でもたらされたもの、それを更に“熱”という一つの共通観念に集約し、その“熱”を原因として発症してきた病気をヤケドと呼んでいるからです。つまり熱を誘発するもの(誘因)は多種多様ですが、熱という形に絞ってしまえば、熱の強さが一定なら、われわれの肌が受けるダメージ(熱傷)もだいたい同じ程度であり、これはそこに個体の介在する余地が減るからです。整理の仕方で個体差を縮めることができるということです。
ところが傷寒論のように熱病というかたちで絞ると、例え誘因が同じ場合でも個体の介在する余地が多いですから個体の差というものが著明にでてきます。私は、こういうのを“生きた”捕えかただというふうに規定してはいかがと考えておりますが、『傷寒論』では、これを熱の出方(様相)の差として捕らえ、実証の人の場合には麻黄剤が向き(適応し)、虚証の人の場合には桂枝生姜剤の方が向く(適応する)と考えていた、そう思われます。

しかし実際には生き物のことですからその中間型がいろいろあり、この実・虚という捕らえかたは、西洋医学の中には無い発想です。しかし、この発想をとり入れますと、同じ流感にかかった人の場合でも対応がすんなりとゆきますし、またやせ形で生来的に消化吸収能の低い病人が、頭に描いた理想像(モリモリ食べてスタミナ旺盛の実証型)を追い求め、却って病状を重くしているというような愚行も減る筈です。それから実証の人の胃部不快感は、胃癌を除けば、肝臓に由来する場合が殆どですから、胆石の有無や肝機能のほうを中心に検査を施行する、そういう方向がつかめますから、ずっと効率がよくなるなど、『傷寒論』から学びとり発展的に活用できる事柄は少なくない筈です。

さて、先ほど、傷寒論的集約の仕方は“生きた”捕らえかただと申しましたが、そう観てゆくと、ヤケドの場合の集約の仕方は“死んだ”捕らえかただというふうに見ることができるかと思います。いろいろな誘因で引き起こされたものをいったん均一な“熱”という概念に抽象単一化し、その熱(原因)による疾患をヤケドと規定し、対照的に対処しているからです。しかしこのように“死んだ”捕らえかたをしたほうが、先程も申したように誘因のかたちで捕らえた場合より個体差は減りますし、個体差が排除できれば、近代医学的な意味での正確さは増しますから正確な対処が可能になります。しかしこれは、対照的に対処するのには、正確さが増すというべきでしょう。
そして、皮肉にも対症的な正確さで捕らえようとすればするほど、病人を生きている状態に近い姿で捕らえるという立場から離れてゆきます。しかし今ここでは、そういう矛盾する点の解明よりも、近代医学がこれまでめざしてきた方向が、このような意味での個体差の排除による正確さの確保ではなかったか、その点を明らかにしておきたかったわけです。
しかし今ここでは、そういう矛盾する点の解よりも、近代医学がこれまでめざしてきた方向が、このような意味での個体差の排除による正確さの確保ではなかったか、その点をあきらかにしておきたかったわけです。

そこで、傷寒論が“熱病”というかたちで、つまり、より生き物に近い流動体性のある状態(誘因の段階)で捕らえていた疾患群に、近代医学が、指向し求めている正確さの思考を導入したらどういうことになるかですが、それは次のようになるかと思います。多種多様な誘因で誘発されたいろいろな熱病の中から熱だけを均一なものとしてまず取りだします。そして、この場合の熱は多種多様な誘因微生物が出す毒素とわれわれの温熱生産を司る中枢とが反応した結果生じたものです。ですから、ヤケドの熱とは発生源を異にしますが、ヤケドの場合同様に、この熱を原因として起こってくるものへの対応の仕方は個体差によるブレが少なくなりますから、より正確にかつ楽にできるようになります。
つまり発熱の為に、その熱が原因で生じた不快な諸症状やそれに伴う不安から病人の為に、その熱が原因で生じた不快な諸症状やそれに伴う不安から病人を解放し、また係留する高熱から病人を助ける為に、それに正確に対処する薬物を開発すればよいからです。じつはここから、あまり個体差にも左右されず、また何が誘因で発生してきた熱かということにもあまり気配りをしないでよい、熱病の“”に対してだけ、普遍的にかつ的確に反応(中和抑制)する解熱薬または解熱鎮痛薬=、例えば、アヘンヘブリン、アンチピリン、フェナセチン、アミノピリン(ピラミナド)、アンピリン、ミグレニン(クエン酸カフェインアンチピリン)、ピラビタール、サリドンなど・・・・・・の開発が始まりまり、連綿と続いてきたというふうに私は推測しているわけです。さてこのような開発過程からも推測できますように、ここには近代医学が採用している用薬の発想の原点(萌芽)があり、性格があると思います。それを具体的に整理してみますと、
(イ)当たりはずれがは少なくが、つまり適確性はあるが目標はあくまでも対症的である。
(ロ)言いかえると病人を“治す”との発想からは必然的に独り歩きし、離れてゆくものである。
(ハ)早く反応し速効性(効率)という要求には適している。
(ニ)病気や病人を“治す”というような発想は既に開発の頭初から念頭におかなくてよい。くどいようですが、生物特有の流動性、つまり個体差というものをなるべく排除し、“正確を期そうする”のあまり、熱病としてよりも、熱として捕らえようすれば、そこにはおのずとから対症的に対処するとの思考しか生まれてこないということです。ですから熱病を“生きた”捕らえかただとすれば熱のみでのそれは“死んだ”捕らえかただとみてよいのではないかと、先程来、申してきたわけです。
(ホ)そういう発想で開発されたものですから中和抑制が眼目であり、生来的に反生物的な性格を持っている、解熱剤の場合でいえば温熱生産中枢を麻痺抑制することで解熱の目的を合目的に早く達成すればいいのですから、いやおうなしに、それは反生物的な性格を持つわけです。
 
さて、西洋医学的に開発された薬物は、今,解熱剤の例で述べましたように対症療法が中心でしたが、第二次大戦を契機に多数登場したのは対象療法薬でした。対象療法といいますと、或いはお耳になじまない方もいらっしゃると思いますが、私は、結核菌とか赤痢菌とか肺炎菌とか淋菌とか、そういう対象物を選んで、それを抑圧し叩きつぶすことを狙いとした薬物をこう呼ぶことにしたわけです。制癌剤なども、ですから当然このワクに入ります。しかしもう少し深く立ち入って考えますと、従来の解熱薬とか鎮痛薬とか、咳止め、痒み止めの薬のような対症療法も、熱とか痛みとか、咳とか、痒みのような一つの症状をそれぞれ対象に選んで開発されたものですから、対症療法というのは煎じ詰めれば対象療法薬の一種であることがわかります。そこで、私は、用薬の発想という原点に立って観ると、西洋医学のそれは一つ残らずといっていいくらい、ほぼ対象療法薬であるとの結論に到達しました。そしていわゆる抗生物質は、対象療法薬中の最たるものですが、いみじくも、その名称が示していますように、生物に拮抗する物質ですから、生物の生命現象のどこか、つまり酵素系のどこかをアタックし、そういう意味で、やはり反生物的な性格の持ち主であることは、対症療法の場合と同じです。そしてここで“反”生物的であるという場合の生物の中には人間も含まれている点が、特にここでは重要です。その証拠に、結核菌に抗するストマイはわれわれの内耳神経細胞の酵素系にも拮抗するためにツンボを誘発し、また各種の誘発微生物に抗するクロマイで再生不良性貧血が誘発されたということは、これがわれわれの血を造る細胞(骨髄細胞)の酵素系にも抑圧的に抗した結果であることをしめしています。


3.「傷寒論」解体試論


さて、漢法は、只今、要約しましたような“反”生物的な性格をもった新薬療法の発展を背景に見直されてきました。これは反生物的な薬物が普及した当然の結果として、薬害、薬禍が多発しましたから、そういう新薬療法への不安と恐怖、不信と懐疑が人々の心を漢方へ向かわせたためだと思います。私が、用薬の発想という、一見、耳なれない表現で、西洋医学はどういう発想に基ずいて用薬しているかを、「傷寒論」の病気のとらえ方と対比しながら述べてきました理由も、生薬または生薬製剤というものを、そういう西洋医学と同じ発想で用いだしたのでは、同じ過ちと誤りを、漢方ないし漢ポーの名の下に犯すことになりかねないと予見したからです。本日の主題であります柴胡甘草なども、実は、副腎皮質ホルモン剤に似た作用の成分があるからとの理由で漢方及び西洋医学の側からも注目を浴び、その結果、そのような憂うべき方向で、つまり漢方の精神からみると既に形骸化したとしか思えぬいろいろな処方を西洋医学的発想の基に活用し、漢方の臨床効果などというかたちで発表され始めているからです。

そこで、これから「傷寒論」の処方例に触れながら、そこから学びとるべきもの、捨てても惜しくないと思われるものなどを、私なりに、ふりわけ、また「傷寒論」の精神を抜きに、形骸化した処方だけを西洋医学的に活用しだしているような風潮にもふれつつ拙話をすすめ、そしてしめくくりたいと思います。
さて、こんな言い方をすると叱られるかもしれませんが、「傷寒論」は神棚へ祭るか飾っておいたほうが無難だし、御利益も霊験もあらたかなのかもしれません。(笑)しかし実際にはよくそんな教え(?)も耳にして参りました。
ですが、いつまでそんなことを言っていても仕方がありませんので、今日は申しわけないが、神棚から降りて頂き、そのかわり、私どものほうもまた科学の未発達であった昔に戻って、つまり紀元1〜2世紀頃にお脳を戻し、近ずけ簡素化しまして、言いかえますと今のような情報過多の弊害に毒されず、俗知俗才にも惑わされない頭で「傷寒論」に少しばかり体当たりしてみたいと思います。なまじ現代の頭で読むと、最初にも申したように、まるで病気のとらえ方が違いますので却って解りにくいし、読み違えるかもしれませんし、また逆に尊大にもなりかねないと思うからです。
早い話が、これも若い頃から、しばしば耳にしてきたことですが、漢方は今の医学よりも優れておって、始めから認識の仕方が違っておったんだとか、或いはまた大柴胡湯小柴胡湯茵Y蒿湯の証とか、葛根湯桂枝湯の証といわれているように、処方ごとに“”というものが整然といいますが、厳然と存在し、決まっておって、脈をみることでそれは解るとか、脈を診て“証”が解れば処方も決まるから“証”は西洋医学でいう症状や症候群とは中味が違うんだ、などなどです。
しかし、もしそうだとすると、既に紀元2世紀頃に、中国にはそれほど整然と組みたてられたびくともしない医学体系が存在していたことになりますから、僕などは度肝を抜かれた記憶もありますが、しかし何か一抹の懐疑の念も正直のところありましたし、だんだん年をとって聞かされていた立場から聞かれる立場になりますと、どうもそういう話をそのまま受け売りすることもできないと申しますか、気が引けると申しますか、今もって、そういう立派な体系が存在していたということへの懐疑は永い間、頭から離れませんでした。

ところが今から20年位前になりますか、たまたま食中毒の時に我々の体が生理的にどう対応し、身を守るかに気ずいた時、先程も申しました西洋医学における用薬の発想とはまるで違った用薬法、つまり、治し方、対処の仕方がそこにあるということに気ずいたわけです。それから何か少し自信がついたような気がしてきまして、もちろん自分なりにですが、じっくり、「傷寒論」を読んでみようという気になり、読み出してみると、太陽病って、病気がまだ表在性の状態にあると申しますか、何か初期の軽い状態を指しているものとばかり勘違いしていたことに気がつき、ここにはを出して治せる病気、汗を出すことによって治せる病気のことがかいてあるんじゃないか、そうみてくると大変によく解っておもしろい、病が裏に入ってというから重症にでも陥ったのかと思っていると、そうではなくて、これは下すことによって治せる病気のことを当時なりの知識でいっているんじゃないか、そう思って読むとすんなり解る様な気がして来たわけです。
それで少々生意気になって?脈診とか証とかいっても、所詮それは、心電図をとる道具も血圧計も、聴診器も無かった頃の話ですから、自分の頭もその頃と同じように簡素化し、そんな時代であったんだなと考え、思いなおしていますと頼れるものはどうも脈ぐらいしかない、そこで脈診を重視せざるを得なかった、ですからそれはそれでいいわけですが、脈を診て証を知るんだという以上は、脈診だけを頼りにして、ではどれだけの確率で、病位・病変・病態が解るのか、まずそのへんが問題になってくるわけです。さぁそうなってきますと、もうこれは診断技術が進歩している今のことですから、そんなことを、ここでくどくどと申し上げたら、それこそ、お前は釈迦に説教をする機会とお叱りを受けましょうからそれは止めますが、要するに、現時点で脈とか血管について申せば、ごく一部に参考とするに足るものがいくらかはあるとしても、それは頻脈、徐脈、大きさ(大脈・小脈)、速脈、遅脈、左右の差、不整脈、動脈壁の堅さ、脈拍の堅さなど、大筋においては、西洋医学が現在採用しているものとそう変わりはない、と考えていいのではないか。
ましてや、時代と共に、“俺には”とか、“俺にだけはその脈の違いがわかるんだ”というような形で、脈の種類が細分化され、数ばかり増えている、そういう歴史を振り返ってみたりしますと、そういう脉診はますます主観主義的になりますから、つまりあまり当てにならない、ならなくなる…。
 そこで、次は“”とか“証”と処方との関係ですが、実際に「傷寒論」を開いてみておりますと、これもまたかなりあやふやで“証”とは何か、ということも、“証”と個々の処方との関係などについても、今ひとつはっきり致しません。ですから“証”が西洋医学でいう症状やシンドロームとどう違うのかと、例えば茵Y蒿湯のところの記載を指さされ突っ込まれると僕などは困ってしまう…。葛根湯桂枝湯にしましても、そういう“証”が最初からきちんとあるとはとても考えにくい…。前にも申しましたが、実際に確認できるのは、かなり生来的なものとしても存在する実証と虚証と、そのどちらとも見分けにくい中間形というものがこれは確かにある…。具体的に私見をまじえて申せば門脈系統における吸収能(流れ)のよろしい人と、そうではないタイプの人及び中間形の人が居って、前(実証)の人が発熱疾患にかかった場合は葛根湯などの麻黄剤がよく適応し、後者(虚証)の人が発熱疾患にかかった場合は、桂枝湯類、つまり桂枝生姜剤のほうがうまく適応する…。”葛根湯や桂枝湯の証”のほうが先に存在しているのではない、それではとらえ方が逆(さかさま)だということです。

 また先程述べた茵Y蒿湯(茵Y・大黄・山梔子)などは、実証・虚証及び中間形のいずれの人の場合にも向くし実際に使うことができる、ということは、いわゆる“茵Y蒿湯の証”などという特殊な証は存在しない…。存在しているのは、この処方は黄疸にききますよということである…。さてそうなってくると、現時点での知的水準から申せば、茵Y蒿湯の場合は大黄のほかに芒硝を加えたほうが更によくなる…。つまりよく効くようになるし、量のほうも、これはケースバイケースですが、当然もっと増やしたほうがよく効くということになってきます。それからそうみてくると山梔子の存在価値はこの処方の場合は逆で薄いものとなり、無いよりはあったほうがいい程度のものか、それとも、あっても無くても痛痒を感じない程度のものということになる…。そこで補正し書き変えますと、茵Y蒿湯は茵Y・大黄・芒硝の3つに変更したほうがより有効となり、この処方は、A型肝炎のほか、長期に用いればB型肝炎及びC型肝炎にも適応しますし、閉塞性黄疸では蛔虫で塞った為の蟯虫性黄疸や、石がごく小さいなら胆石性の場合も適応するということになります。そしてここで一つ問題になるのが柴胡です。言いかえますと大黄・芒硝・茵Y蒿に、この際、柴胡を加えたほうがいいかどうかということですが、突きつめた僕の結論では、柴胡はあっても無くともよろしい、大差は無いということです。 そしてそういうことになると、次の問題は大柴胡湯(柴胡・黄ィ・芍薬・陳皮・半夏・大棗・生姜・大黄)の存在価値がとわれてくるということになってきますが、この処方の問題点は、まず大黄の量が少なすぎることです。そして次は芒硝をも加えるべきだということですが、茵Yを加えれば更に有効になりますから、そうなると、大柴胡湯自体が、あってもなくてよい処方だということになります。
また、事のついでに小柴胡湯(柴胡・黄ィ・人参・半夏・大棗・生姜・甘草)について申せば、そこに長々と書かれてあるのは当時なりの知的水準で、ほぼ肺結核症患者の病状を述べたものと思われます。従って、この記載を指して、これが”小柴胡湯の症”であるなどとはとても言いにくい…。そんなわけで、そういう“証”にあまりこだわり、片意地を張っていてもしょうがない。真面目な医学者からは相手にもされなくなる。”あれは彼らの一人よがりだよ”と一笑に附されるような事にもなりかねない…。

さて柴胡については、このほかにも論ずべき問題があるので、終わりのほうで触れる事とし、ここには類例をもう少し述べたいと思います。
例えば葛根湯ですが、もしこの葛根・桂枝・芍薬・大棗・生姜・甘草・麻黄の中から麻黄をはずしますと(除外)、この処方は成立しません。しかし葛根はとなると、無くとも成立します。葛根湯がねらっている主徴の一つは”解凝”でしょうが、凝り、つまり筋肉の拘縮は、麻黄でとれて除けますし、熱もとれるからです。
青竜湯(麻黄・杏仁・甘草・石膏・桂枝・大棗・生姜)なども、より原典に近いとされている康知本では一つですが、宋版になると、青竜湯を大青竜湯とし、別に小青竜湯(麻黄。桂枝、細辛・五味子・生姜・半夏・芍薬・甘草)を設けています。しかし処方内容からすると後世派化しただけで、つまり主薬である麻黄の量を減らし、滋養剤的性格を増し、性格のあいまいさがめだちますね。「傷寒論」的立場からすると、むしろ後退しているということです。
さて、こうみてきますと、今伝わっている「傷寒論」の中からでさえ、再吟味してみると、要らない生薬、つまり削除してもかまわないというか余り痛痒を感じない生薬があり、それに、無いよりはあったほうがよい程度の生薬もありますから、そういうものを合計するとかなりの数に登ると思います。そして残念ながら柴胡もこの部類に属する生薬であると考えています。そこでよく合方の対象となる大柴胡湯+葛根湯を例にして削除を試みてみますと、柴胡・黄ィ・芍薬・陳皮・半夏・大棗・生姜・大黄、以上が大柴胡湯で、これに葛根・桂皮・芍薬・大棗・生姜・甘草・麻黄が加わりますから、生薬の数は合計15ですが、だぶついている芍薬・大棗・生姜を1つまとめると12種類に減ります。

 次に、これは前にもふれたことですが、大佐古湯中の主薬は大黄で、葛根湯中の主薬は麻黄ですから、「傷寒論」的に詰めてゆくと、この汗(麻黄)・下(大黄)の主薬を軸に、この処方は、主として実証で肺活量の旺盛な人が、感冒、流感、リウマチ熱及びその他の膠原病、アレルギー性の諸疾患、痛風、ビールス性肝炎、糖尿病(可逆的病変の段階)などに罹患した場合に適応します。しかし肝炎の場合は、大黄の量をもっとふやし、更に芒硝・茵Yを加えるべきであるということは前にもふれた通りです。そこで、次におこってくる問題は、今のべた諸疾患に対してあとの10種の生薬つまり、黄ィ・芍薬・陳皮・半夏・生姜・葛根・桂枝・甘草及び柴胡はどう位置ずけたらいいかということです。つまり有っても無くてもよいものなのか、無いよりはあったほうがよいのかです。
しかしこれを決めるには今、挙げたように対象となる病気の種類が一様ではないことと、同じ実証の人でも、その病人に動脈硬化の傾向の兆しがあるか殆ど無いかなど、病人の側の条件も一様ではないですから、実際はケースバイで対処してゆくしか有りません。しかし強いて挙げよと言われれば、黄ィ・芍薬・葛根・柴胡の4つはあってもなくてもよろしいが、陳皮・半夏・大棗・生姜・桂枝・甘草の6つは、これは風味上の問題、つまり飲みやすくするという意味なども含めて申せば、あったほうがよろしいということになります。なおここでご参考までに、一言、付け加えますと、後世派、つまり今広く行われている中医学の立場からしますと、大柴胡湯+葛根湯合方のねらいといいますか、漢方の立場とは逆となり柴胡と甘草の2つはその中で欠かせぬ生薬ということになります。なぜなら、今、西洋医学のその臨床面で、薬害を少しでも小範囲に止めたいとの配慮から、しばしばいわゆる既製の漢方へ向けて盛んにアプローチを試みていますが、その発想には基底において後世派と共通的なものを持っており、そこで、同じように柴胡と甘草に魅力を感じているからです。この2つの生薬にはステロイド(副腎皮質ホルモン)様の抗炎症作用があって、対象(症)療法的な意味での合理性を持っているからです。後世派のいわゆる漢方と西洋医学の用薬法は、共に対象療法を主体としておりその点で用薬の発想は似かよっているわけです。

先程「傷寒論」の太陽病のところは、汗を出すことで治る、治せる病気のことを書いたものだという意味の私見を述べましたが、最初に「傷寒論」は、風邪、流感、食中毒、長江赤痢、腸チフス、マラリア、肺結核症、リウマチ熱など、いろいろな発熱性疾患を熱病という形で捕らえ、それに対する対策処置法(Treatise)を述べた本だと申しました。ところが、今ここに列挙した発熱性疾患のうち、麻黄剤または桂枝生姜剤のいずれを用いても、どうしてもうまく反応しない熱病がある、つまりそういう壁にぶつかって、登場したといいますか、用いてみた生薬が柴胡であり、その対象となったのが、肺結核症とマラリアという2つの熱病でした。つまり発汗による解熱ではなく解熱させるという発想、つまり対象(症)療法的に対処する薬物として登場したのが柴胡であった、そう考えられるわけです。序に少しつけ加えれば発汗による解熱は生体は生来具有している解熱機構にそった治療法の一つであって、生理的な用薬法ですが、いわゆる解熱剤による解熱は対症療法的でかつ反生物的な性格をもっているということです。つまり両者は、その基底において用薬の発想を異にしているということですが、そうであるからこそ、漢方といって、その独自性をも主張できるのだと思います。一隅を照らし得ば幸です。