第17回 講演会 要旨

[看護の基本的責任]

順天堂医院婦長(教育担当)
本間 ヨシミ 先生


他の医療職の方に、看護婦はどんな仕事をしているかを分かっていただく良い機会と考え、今回お話をお受けした。又、逆に、皆さんは看護婦に対して、どう思っているのかお聞きしたいという気持ちもあります。

1、看護婦になるための教育コース
:准看問題とか医療事故の問題も看護婦の質に関わる点があると思うが、現在、看護婦の基礎教育、免許取得へのコースは幾つもあり、協会ではこれを一本化すること、大学教育にすることを望んでいる。看護婦だけの問題ではないが、質が問われるじょうきょうになっている。現在、新人看護婦には大学卒がきているが、専門学校よ実習時間が少なく、また社会性、基礎的な生活の仕方が身についていないので、受け入れる医療機関では悩みがある。今年の国家試験の問題は変わってきて患者さんの全体像を理解できないと解答できない問題傾向になっている。これからどのような傾向になるかは大きな関心事である。
2、看護婦の責任
:看護婦はどのような考えで、どのような仕事をしていくか、昭和43年の保健婦、助産婦、看護婦法では、法制大臣の免許を受けて傷病者若しくは褥婦に対する療養上の世話または診療の補助をすることを生業とする女子”とされている。
しかしこれは看護婦でなければできないことなのか、看護婦というのはだれに何をする人なのか、専門職として私達自身につきつけられた問題である。
 WHOの健康の定義でのべられている“健康とは身体的にも精神的にも社会的にも快適な状態である”としたら、看護の対象は全ての人々と考える事ができる。
 療養上の世話と言う点ではナイチンゲールから学ぶ事が大きい。
看護覚え書き」の中で
ナイチンゲールは、看護とは新鮮な空気,陽光、暖かさ、清潔さ,静かさ等の生活環境を適切に保ち、食事を適切に選択し管理する事、こいったことのすべてを患者の生命力の消耗を最小にするように整える事だと述べた。
私達は病院では患者と家族が対象になるので、その環境を如何に整えたらいいかをこの覚え書きから学習した。またこれらの事を具体的に示したのが、バージニア・ヘンダーソンで、看護婦が本来するべきことは何なのかを1961年の国際看護婦協会第12回総会で明らかにし、更に看護は独自の機能であると述べた。この言葉は看護婦にとって極めて、魅力的な表現であった。なぜかと言えば、看護婦は医師の指示によって診療の補助業務行ってきたが独自の役割があると言われた事は看護婦に明るい展望を与えた。
ヘンダーソンは、
看護婦の独自の機能とは人々の健康あるいは健康の回復、あるいは平和な死の一助となるよう生活の仕方を援助することであるとした。彼女が基本としたものは、ナイチンゲールが看護婦の仕事としたものと非常に一致している。私達の仕事はあらゆる人間に共通する心身の健康に必要な基本的ニーズを満たす事を目指すものではないかと考える。
 ヘンダーソンは基本的ニーズとは、適切な食事、排泄、睡眠と休息、身体に合った衣服などの生理的要求や、清潔や温度、安全と安定などの環境、他者とのコミュニケーション、信仰、達成感を得られるような仕事、学び、発見し、又は好奇心を満たすことなどの社会的な関わりの要求をあげている。
 1973年の国際看護婦総会では、
看護婦の責任は、
@人々の健康を増進し
A疾病を予防し
B健康を回復し、
C苦痛を緩和するために貢献する事。
この貢献ができたら、それは、看護であるとした。看護の対象はすべての人と考えることができる。
 私の勤める順天堂医院の順天とは、天道に従うという意味で、ナイチンゲールは患者さんの生命力の消耗を最小限」にし、自然治癒力に働きかけることを教えているが、順天堂の名前も、自然の道理に従い、人々を癒すことを意味するので、病人の自然治癒力をより多く発揮できるように力を尽くす事を目指している。病気は医療者の力だけで治したと思う事をこの名称はいましめている。

 注:看護婦の名称はその後“看護師”と改められた。