(原著)
脳血流に及ぼす温灸の効果
佐藤隆一1,2), 藤本司1), 向山正孝1,2), 大滝博和1), 佐藤知樹1)
昭和大学藤が丘病院脳神経外科1), 十日市場整形外科内科医院2)
“The Effect
of Indirect Moxibution on Cerebral Circulation”
Ryuichi SATO, Tsukasa FUJIMOTO,
Masataka MUKOYAMA,
Hirokazu OHTAKI, Tomoki
SATO
Department
of Neurosurgery, Showa University Fujigaoka
Hospital.Tohkaichiba Clinic of Orthopedics and Internal
Medicine.
Abstract
Cerebral blood flow
changes during and after indirect moxibution stimulation at the
acupuncture point HO-KU (L-14), which
is located between the thumb and index finger, were
measured by the transcranial Doppler ultrasound (TCD). The mean blood flow
velocities (Vm) of the right middle cerebral artery (MCA) in 10 normal
subjects were measured continuously during and untill
15minutes after the stimulation. The Vm showed 2 peaks, at 1 minute after and
7minutes after the stimulation. The hextent of change
in fiow velocity was 23% at
the first elevation and 20〜26%
at the second elevation. The second elevation of the flow velocity continued
untill 15 minutes after the stimulation. The number of heartbeats increased at
the first elevation and then returned to its previous level but did not change
at the second elevation. To evaluate vascular reactivity, a hyperventilation
test was done before and after the examination: it showed normal vascular
reactivity at both points. The second elevation seemed to be induced by the
moxibution effect. Vascular reactivity remained
and no significant
vascular diameter change seemed to occur. From our results, the
significant increase of cerebral blood flow is induced by indirect moxibution
stimulation.
Key words:
indirect moxibution, cerebral circulation, TCD, acupuncture point
はじめに
温灸は、灸が艾(もぐさ)による温熱刺激を直接皮膚に加えるのに対し、温熱刺激を間接的に皮膚に加える東洋医学的治療手段の一つである。温灸は強い熱さを感じさせずに治療効果が得られる事が認められており、種々の疾患に対して広く用いられている。手のツボである合谷穴(手の甲側で、人差し指と親指のまたのくぼみにあり、おさえると痛みを感じる場所にあるツボ)は肩こりなどとともに、前頭部の頭痛、顔面部(目、鼻、耳、歯等)の疾患に有効である事が良く知られている。さらに近年、ツボに温灸をして遠隔部の血流が改善される事を確認した報告も散見される。これらのことから合谷穴の温灸が脳血流に影響しうる可能性を考え、頭蓋内血管の血行動態を刻々に観察しうる経頭蓋的ドプラ法(TCD)を用いて、温灸刺激前後を通しての脳血管の血流速度を経時的に測定し、脳血流におよぼす温灸の効果を検討した。
対象と方法
明らかな既往症を持たない健常成人男子10名(平均年齢26.5±5.3歳,21〜37歳)を対象とした(Table1)。実験全過程を説明し、理解を得た後、薄暗い静かな部屋のベッド上に安静臥床後、1分間の心拍数、呼吸数、水銀血圧計による最高最低血圧、電子体温計による腋下体温を測定した。次いで5〜10分後に右側頭部でTCD2.64B(EME社,ドイツ)を用い、中大脳動脈水平部(深度:45〜55m)の血流速度を連続的に観察し、経時的に記録した。実験施行者は測定者1名、記録者2名、進行および合図係1名で行った。本実験ではプローブのヘッドベルトによる固定はせず、測定者は波形と信号音から、最も適切な位置と角度を保持できるようプローブのコントロールに専念し、記録者はモニターの画面に自動的に表示される波形と信号音から、再現性が良いと考えられるタイミングで約1分ごとに画面を止め、記録紙にプリントアウトした。実験中はあらかじめ説明をしておいた進行に必要最小限の言葉以外は沈黙を守り、互いに目で合図をしながら行った。安定した前値を記録した後、血管反応性を見るために文献4で定義されている方法で過呼吸テストを行った4)。ほぼ前値に安定したところで左右の合谷穴に同時に温灸(せんねん灸伊吹:せんねん灸株式会社,東京)をおいた。開始直後から1分毎に再現性のある血流速波形および血流速度を記録し、温灸開始後15分まで観察した。終了後5〜10分間待ち、ほぼ前値に近くなったところで再度過呼吸テストを行った。次いで、心拍数、呼吸数、血圧、体温を測定し終了した。また対象として同じ被験者のうち8名(2名は身体的条件とは別の理由で施行できなかった)に対し、同じ条件下で無温灸刺激時の血流速度の経時的測定を合わせて行った。なお使用したせんねん灸伊吹の接触面における経時的温度変化を本実験に先立って測定した(Fig.1)。この結果をもとに、実験の流れを考慮して、開始1分後に約40℃、2分後に約48℃の最高点に達し3分後には43.5℃、4分後には約35.5℃になるように、着火2分後の時点でせんねん灸を合谷穴にのせた。なお実験に先立ち、実験の目的、全過程などを説明し、理解した上で積極的に参加してくれることのインフォームドコンセントを得た後に本実験を行った。
結果
実験前後における心拍数、呼吸数、血圧、体温には有意な変化は見られなかった(Table2)。また実験の直前、直後に行った過呼吸テストでは、各々平均血流速度は41.4±6.6cm/secと40.9±7.8cm/secであり前値の64.5%、67.2%まで低下し、共に正常の血管反応性を示し有意差は見られなかった。温灸開始後約1分(63±8秒)で施灸部位に温感を認め、約2分30秒後(151±11秒)熱感が最高点に達したと感じ、4分30秒から5分後には温感が消失した。また心拍数(記録された画面の波形図より算出)は開始直後から増加し(0,1,2,3分後には各々75±4,
80±4,
76±4,
77±4/min)、3分後以降は下降し安定した(Fig.2)が、対象群では有意な変化は認められなかった。右中大脳動脈水平部の平均血流速Vmは、1分後に18%まで有意に増加した後9%まで一旦下降し、7分後ころから再び増加し19%に至り測定時間終了の15分後まで持続していた(Fig.3)。また拍動係数PIは0分,0.85±0.1
、15分,0.77±0.01で、その間有意な変化は見られなかった。PI値は末梢血管抵抗の指標の一つとも考えられ、この結果から末梢抵抗に有意な変化が無かった可能性があるが、現時点ではPIの評価には慎重を要すると考える。なお対象群では血流速にもPIにも有意な変化は見られなかった。
考察
今回用いた温灸は、熱感が約4分間持続し、途中約1分間皮膚接触面の温度が45℃以上となる熱刺激である。両手の合谷穴を刺激すると、中大脳動脈平均血流速は刺激開始1分後18%まで有意に増加した後一旦下降し、その後再び同程度に有意に増加しつつ15分後までその傾向は持続した。この2峰性の変化を、温灸温度との関係から考察すると、開始1分では温灸温度は最高点の66.6%まで上昇するが、血流速はすでに第1峰の最高点に達している。温灸温度が45℃以上に達する2〜3分では、血流速は最高点の94.5〜96.5%で既に下降し始めている。5分では温度は68.3%まで低下したが、血流速は92.7%を維持している。7分では温度は53.7%と下降し続けるが血流速は95.7%と再び上昇し始める。以上から、本実験で得た血流速亢進現象は、少なくとも第1峰ピーク以降では、温度依存性とは考えにくいと思われる。
心拍数との関係を考察すると1峰目では血流速変化は心拍数の変化と同様の動きをしており、主に心拍数の上昇が関与していると考えられる。初めて感じる熱感と、どのくらい熱くなるであろうかという漠然とした不安、さらに実験に参加しているという被験者の緊張などの自律神経系の変化が心拍数の上昇に関与した可能性が考えられる。2峰目の持続する流速の亢進は、すでにこの時期には熱感は消失しており、心拍数は安定していたことなどから、1峰目に関して考えられるような反応性の関与は考えにくく、温灸自身の効果による影響である可能性が高いと考えられる。
灸刺激では一般的に温熱効果として局所の血管拡張作用、細静脈の血管透過性の亢進などが指摘されている。さらに局所皮膚の過酸化脂質の減少、熱ショック蛋白質の出現、血小板活性化因子の出現など免疫系や内分泌系への作用も報告されている2,3,16)。また灸の効果は局所にとどまらず、特定の局所(ツボ)刺激により遠隔部位の反応が引き起こされることも認められている。足の三里穴(下腿外側で膝下約10cmのところで、むこうずねのすぐ外側にあるツボ)の灸刺激が胃壁の血管を拡張させ血流を増加させたと言う報告5,6)や、足の至陰穴(足の表側小指の爪の生え際から外側へ5mmのところにあるツボ)の温灸刺激を妊婦の骨盤位矯正に用い、子宮の循環抵抗の著明な低下が認められた報告など8,11)がある。しかもこれらの作用は刺激終了後も相当時間継続されることも知られている。すなわち、ツボの温灸刺激によりそのツボに関係した遠隔部位の臓器で治療効果を示すと共に、循環改善効果が認められている。
灸と温灸との治療効果における差はどうであろうか。灸では艾を直接皮膚上で燃焼させるが、温灸では灸と皮膚の間に空間や生姜、にんにくなどを介して燃焼させるので、その皮膚接触面での温度は灸に比べてはるかに低い。しかし強い刺激ほど有効とは限らず、例えば灸によるT細胞の反応性増強作用を示唆する報告では、温灸の温度や刺激時間、さらには個人差などにより同様の刺激でも結果が非常に異なり、低温刺激のほうが有効な場合のあることが示唆されている7,13)。
鍼灸による治療効果を考察する上でツボと非ツボとでの効果の違いや、刺激終了後も持続する後効果が指摘される。ツボの位置とその刺激によってもたらされる効果については、東洋医学上は歴史的な経験の蓄積からほぼ確定しているが、近年の鍼鎮痛効果の一連の研究により、ツボへの鍼刺激による鎮痛効果発現機序が解明されてきており、ツボ刺激による鎮痛促進系および非ツボ刺激による鎮痛抑制系の神経伝達物質を含めた神経回路の存在が明らかにされてきている9,12)。これらの知見がそのまま灸刺激の場合に適用できるか否かはいまだ明らかではないが、ツボ刺激による遠隔部位における効果発現や全身に与える影響を考える上で示唆に富んだ研究結果である。
鍼による鎮痛作用の後効果についてもその機序の解明が進められており、上記神経回路の視床下部弓状核中央部と後部の間にドーパミン作動性シナップスを介しており、一定時間のツボ刺激により下垂体から血中に多量に遊離したβエンドルフィンの存在が、刺激終了後もシナップス促通現象を誘発している事が確認されている14)。灸や温灸でも促通現象がみられ、温熱刺激終了後も局所の血管拡張作用が持続される事から、求心性神経繊維への持続的興奮入力が1時間以上持続しているとの報告もある1)。
これらのことからも、そのメカニズムの詳細は不明であるが、末梢部にある合谷穴の温灸刺激により、遠隔部すなわち脳血管において血流速度が有意に、しかも持続的に亢進した可能性が考えられる。脳組織に対する効果を考える際により意味があるのは血流速ではなく血流量であり、近年、TCDを用いて血流量を推測する試みが行われているが、TCDのみでは困難である15)。また、今回はSPECTの使用はできなかった。温灸刺激実験の直前直後に過呼吸テストをして血管反応性を見たが、反応性は共に良好であり、有意差は無かった。血流速の変化から血流量の変化を推測する事は血管径が分からない限り困難であるが15)、実験の直前直後で同程度の良好な血管反応性が認められたことは、血管の径や壁の緊張に有意な差は無かった可能性を示唆していると考えられる。すなわち約20%の血流速増加を認めたことから脳血流量の増加があった可能性が考えられる。温灸は手軽な治療法であり、温灸が慢性的虚血性脳血管障害の改善策のひとつとして役立てうる可能性を示唆している。
結語
1)成人男子の両手の合谷穴に温灸刺激をし、刺激前から15分後までTCDを用いて中大脳動脈平均血流速を経時的に観察し、温灸による脳血流への影響を検討した。
2)血流速は1分後に約18%増加した後一旦軽度下降し7分後から再び同程度に上昇する2峰性を示し、2峰目の上昇傾向は15分後まで認められた。
3)1峰目は熱感や心理的反応などによると思われるが、2峰目は温灸効果によると考えられる。
4)実験直前直後の過呼吸テストでは血管運動反応性はともに正常に保たれており、有意な変化を認めなかった。測定血管径や壁の緊張に有意な変化は無かった可能性が示唆される。
5)したがって、温灸刺激により脳血管の血流量の増加が誘発されたと考えられる。
6)温灸は手軽な治療法であり、合谷穴の温灸が虚血性脳血管障害の改善に役立ちうる可能性が考えられる。
文献
1)
千葉惇,秩父志行:施灸による誘導筋電図H波の促通現象.医学と生理学131巻3号:115-118,1995
2) 千葉惇,秩父志行:温筒灸の艾と艾タールによるラジカル除去作用の比較.医学と生理学131巻5号:181-185,1995
3) 千葉惇,秩父志行:温筒灸による皮膚の過酸化脂質の減少.医学と生理学132巻5号:233-235,1996
4) 藤本司,福島義治:Transcranial Doppler 法によるMoyamoya病の血行動態および血管反応性の検討.Neurosonology 3:141-146,1990
5) 岩昌宏,石丸圭荘,篠原昭二,樋口淳一,渡辺清剛,吉井智子,小高ますみ,畑幸樹,咲田雅一:ヒト腸蠕動に及ぼす鍼灸刺激の効果.明治鍼灸医学第8号:34-41,1991
6) 松本勅,池内隆治:家兎胃壁血流に対する灸刺激の効果.全日本鍼灸学会雑誌44巻2号:170-175,1994
7) 奥野英子,篠原昭二,宇都宮由美子,咲田雅一:マウス免疫能の灸刺激後の変化について.明治鍼灸医学第15号:47-52,1994
8) 大淵千尋:痔疾患における百会 |